振袖のなりたちについて

振袖の原型はもともと、振り(脇の下にあたる部位で、袖の端を縫い付けずに開口している部分のこと)のあいた子供用の小袖がはじまりだった、といわれています。もとは機能的な意味が強く、体温を逃がすためだったそうです。

それに対し、大人の小袖は袂(たもと。袖のヒラヒラした部分)が短いのがセオリー。つまり、どれも訪問着色無地のように短いか、少し長い程度が普通だったわけです。

意外ですが、元禄時代(1703年)まで振袖は男性も女性も着る物でした。
色や柄、形状に男女の差はほとんどなかったのです。(ただし、この頃の振袖は訪問着と同じぐらいの袖丈。また、小物の帯締めなどもまだメジャーではありませんでした)
振袖は男性は17歳の春に、女性は結婚していようがいまいが19歳の秋に袖を短く裁ち落として、なおかつ振り(脇に開けられた穴)をふさぐ、というのが通例でした。

いまの『振袖』が現れたのは江戸時代。その前期に、若い女性が着る正装の和服の袖丈が徐々に長くなっていきました。江戸末期(1867年まで)には、だいたい現在に近い形状になっていきます。

袖丈が長くなった原因・理由については、いろいろな説がありますので、そういう本をいちどご覧になってみてもいいかもしれません。

面白いのは、関所を通るときに、未婚の女性は振袖を着ていないと通れない、というエピソードが多かった、ということです。年齢や身分をごまかしている、と疑われたためだそうです。関所の近くには、たいてい貸し振袖屋があったそうです。レンタル衣装屋の原型も、そのころにはあったわけですね。